先日
ペアでチケットが当たったので『テラビシアにかける橋』を観てきました。行こう、となったときにはもう上映最終日直前で焦りましたが、MOVIXといえばのキャラメルパプカァンも食べられて満足満足。内容は、うーん、もしノベルがあるならそっちの方が面白いのかなっていう。分かりやすいようで分かりにくかった。深いってことなのか、どうなのか。読書感想文で高学年の課題図書とかになりそうなお話しだと思いました。
ところで
最近、腸の調子がよくないようで。朝ご飯を食べてからバイトに行くのが怖くなってます。正露丸をコンタクトレンズのケースに入れてポケットに常備しています。
それから
マリア様が終わりそうで憂鬱です。瞳子編さんざん引っ張ったから、また引っ張りまくることを願うばかりです。
さて
トラベルしてきます。
って英語だったんだ
意味あったんだ
英文科英語学科専攻です
知らなかった
名前だと思ってた
いや
こんな公共の場で何も自分の学力の低さを露呈することはないのだけれど…
がーぬ
や
ほら
ハッチポッch
中学の頃
辞書引いた気も…
んんむ…
成程、と納得した気も…
んんんむむ…
うーん いい曲です
ジャーニー
東京都市狂詩曲
いいエロバム
エロ度がパネェですよ
パネェです
マジ
マジパネェーですよ奥さん
お呼びになったリエコは東北最大級の就活イベントマイナビExpoに参加してきました。茨城から遠路はるばるいらっしゃったちょさんと巡りました。収穫は何かって、室蘭の人ですよね。あやかさん。室蘭の人来てました。
何事も可能性は0ではないということを肝に銘じておかなければならない。
自分がおかしいと思わなくても、周囲の人間が不快に感じるのならそれは改めなければいけない。
自分の「普通」を押しつけてはいけない。
それを理解してくれないならその人とは関わらない、というのは正答ではないということを考えねばならない。
自己中心的考えを理解してくれる人とだけ一緒に居ればいいというのは間違いである。
正直に自分の非を指摘してくれた人間に憎悪を抱いてはならない。
バイト中、急に腹を下した。1時間半であがった。今日で90時間超えるはずだったのに。情けない。丁寧に接客できずに、お客さんには申し訳ないことをした。。大丈夫かなーと思っていたら背中に走る悪寒と痺れ。トイレに文字通り駆け込んだ。レジに戻るも、全身が震え、立っていられない。家に着くなり正露丸トーYeah!を服用。エロバムを流しこたつで横になった。
つまり
夜は腹を出して寝てはいけない。
左上の親知らずがいづい。なんか生える方向が変わってきた気がする。口の中を絶対に噛んでる。抜きにいこうー。もうなんか親知らず抜くの全然怖くないです。さすがに下の歯はもう抜きたくないですけど。
不時着のPV、今までで一番笑いが少ないかもしれない。いや、考えてみると紫陽花とかは笑いゼロなのかも?しかしあちら側は全くお笑い的な笑いを狙っていないというのにこちらは笑ってしまうというアイロニー。そして今いちばんお気に入りなのは「ぷっ」て思ってたI SHADOW。新曲を聴くといつも思うことだけど、根本がどこにあるか何なのか私なんかにはわかんないけど、なんとなく根本は変わってないなって思う。
しかし人間て欲張りで気侭だな。同じように聞こえる曲はつまらないといってすぐに飽きて捨ててしまうくせに、色の違うものを用意すれば「前のままがよかった」と言って駄々を捏ねる。変化することを望むくせに変化することを嘆いて。確かに椿屋は変わったと思うよ。ものすごい進化したしメンバーは増えたし様々な楽器を取り入れるようになったし表現方法の幅も広がった。何より中田裕二の考え方が、今とちょっと前だけ―端と端だけ―を拾い上げてみてみればその変化は一目瞭然だ。その変化についていく者たちは様々だと思うけれど、少なくとも自分自身は盲目ではないと思う。好きだから素晴らしく見えるんじゃなくて、素晴らしいから好きなんであって。素晴らしいと感じられなくなればすぐに背中を向けてしまう、そのぐらい簡単な気持ちだ。それでも引きつけてしまう椿屋四重奏の力ってやっぱり凄いと思う。
そもそも作り手が同じなんだから似通ってくるのは仕方ないんじゃないの?って思う?そんな簡単なものだろうか。童謡を作詞作曲して歌ううたのおねえさんが、激しいミクスチャーを作詞作曲して歌っていたら、気付くだろうか。音楽というフィルターを通してだけ見て気付く人は、人間の声を耳で判別できる能力を持ってる人ぐらいじゃないか。
同じ土俵で発信し続け、且つ聴き手を飽きさせない見事な裏切り方をし続ける彼ら。違うものの中に同じ匂いを残すのではない。同じ匂いの中に違うもの、新しいものを滲ませる。歌詞がいいとか曲がいいとか見た目がいいとか、そんな単純なところだけ切り取って捉えることができない。バンドとして、とか楽曲を世に放つためのロックプロジェクトとして、とかじゃなくて一つの生命体としての椿屋四重奏がこの世界に付ける爪痕は、無機質なものからさえ血を滲ませてしまう猛毒を持っているだろう。
その傷が、どんなに小さくても。
エルチェンジザワールドを観てきました。あまり期待していなかったためか物凄く面白く感じました。松山ケンイチは本当にすごい俳優さんだ。ふくだまゆこちゃんもあの子役くんもいい演技するなー。敵役で金井勇太が出てたのにはびっくりした、感動。ひそかにずっと好きだったんですよ。
とにかく
原作を読んでいて且つ前後編を観ている人にとっては堪らない仕上がりになっていると思います。特にニアファン。映画自体がほとんどオリジナルになってはいるけど、決して原作を汚していないし、むしろ美しくしている。このL change the WorLdという映画もまたDEATH NOTEの世界をより鮮やかに写し出しているとそんなふうに思いました。
始終どきどきしっぱなしで観てました。今まで観た映画の中で一番面白かったかも。ALWAYSも捨てがたいけどね!
TOKYO CITY RHAPSODY…またこれも名盤でした。まだ聴き始めたばかりですが。
どの曲もクセが強くて、重い。一曲一曲がそれぞれ喜怒哀楽を持ち、それぞれの世界を生きている。それらは確かにバラバラで、仮想。そこにあるはずなのに掴めない、見えない。夢の中で生きているような。自分の存在すら曖昧になりそうで。その内に抱える闇を同じくした共同体。東京の実体を具現するならば、まさにこのアルバムがそうであろう。しかしこれはほんの片鱗。それが東京という名の巨大な虚空間なのだ。
って東京に住んだことはないですけど。問題はそこじゃないです。東京というモノに抱く幻想が生み出したメランコリー。地域としての東京ではなく、一つの概念としての東京というものがずっと昔からあったはず。それは絶えず変化してきていて、「今」を切り取るとしたならば椿屋四重奏は見事にそれを成功させたといってもいいと思う。いうなれば存在しているもの全てが世界を創っているわけだが、彼らが今まで避け続けてきた「リアル」を「東京」という媒体を通して創り出した。仙台でも熊本でもなく敢えて東京をコンセプトとして選びこのアルバムを完成させ世に放った中田裕二は、東京という名のブラックホールの内側にも外側にも立っているのかもしれない。
あの、まず、彼らアルバムの最後に持ってくる曲がピカイチなんですが、今回は不時着でございましたでしょ。あたくし聴く前にまずそこに感動いたしましてね。んで改めてアルバム通して聴いてみて、これ以外にくるものはないって確信しましたもんね。憎い奴ですね、ゆうじ。今年も沢山彼らを観たいと思もいます。荒吐、相当期待してます。
久々に長い文打って疲れました。はぁはぁ。