左上の親知らずがいづい。なんか生える方向が変わってきた気がする。口の中を絶対に噛んでる。抜きにいこうー。もうなんか親知らず抜くの全然怖くないです。さすがに下の歯はもう抜きたくないですけど。
不時着のPV、今までで一番笑いが少ないかもしれない。いや、考えてみると紫陽花とかは笑いゼロなのかも?しかしあちら側は全くお笑い的な笑いを狙っていないというのにこちらは笑ってしまうというアイロニー。そして今いちばんお気に入りなのは「ぷっ」て思ってたI SHADOW。新曲を聴くといつも思うことだけど、根本がどこにあるか何なのか私なんかにはわかんないけど、なんとなく根本は変わってないなって思う。
しかし人間て欲張りで気侭だな。同じように聞こえる曲はつまらないといってすぐに飽きて捨ててしまうくせに、色の違うものを用意すれば「前のままがよかった」と言って駄々を捏ねる。変化することを望むくせに変化することを嘆いて。確かに椿屋は変わったと思うよ。ものすごい進化したしメンバーは増えたし様々な楽器を取り入れるようになったし表現方法の幅も広がった。何より中田裕二の考え方が、今とちょっと前だけ―端と端だけ―を拾い上げてみてみればその変化は一目瞭然だ。その変化についていく者たちは様々だと思うけれど、少なくとも自分自身は盲目ではないと思う。好きだから素晴らしく見えるんじゃなくて、素晴らしいから好きなんであって。素晴らしいと感じられなくなればすぐに背中を向けてしまう、そのぐらい簡単な気持ちだ。それでも引きつけてしまう椿屋四重奏の力ってやっぱり凄いと思う。
そもそも作り手が同じなんだから似通ってくるのは仕方ないんじゃないの?って思う?そんな簡単なものだろうか。童謡を作詞作曲して歌ううたのおねえさんが、激しいミクスチャーを作詞作曲して歌っていたら、気付くだろうか。音楽というフィルターを通してだけ見て気付く人は、人間の声を耳で判別できる能力を持ってる人ぐらいじゃないか。
同じ土俵で発信し続け、且つ聴き手を飽きさせない見事な裏切り方をし続ける彼ら。違うものの中に同じ匂いを残すのではない。同じ匂いの中に違うもの、新しいものを滲ませる。歌詞がいいとか曲がいいとか見た目がいいとか、そんな単純なところだけ切り取って捉えることができない。バンドとして、とか楽曲を世に放つためのロックプロジェクトとして、とかじゃなくて一つの生命体としての椿屋四重奏がこの世界に付ける爪痕は、無機質なものからさえ血を滲ませてしまう猛毒を持っているだろう。
その傷が、どんなに小さくても。