中学生の頃のB-PASS、だと思うんだけどクラッシュインアントワープが後ろの方のページに頻繁に載っていたような気がするのがやたら印象的です。たぶん、アー写の印象が強いんだと思う。ネット徘徊してて昔のアー写見つけたんだけど、そういやこの眼鏡の細面のひとが好みだったなぁなんてこと思い出して。
バッチグーwwwwwww
安高wwwww
キモイ!(キがアクセント)
クラッシュインアントワープのことはほとんどなんも知りませんがね。
ところで
ウェブ渡り歩いてると様々なブログに辿り着くことは常です。
こう、変わり行くバンドの音楽性や方向性を受け入れられないひとや、受け入れたいけどできないひと、様々いると思います。「前の方がよかった」とか。そういうやつ。
勿論じぶんもあります。でも必死に追いかけようとしたり。その虚しさに気付いてないわけじゃないです。そこで「もういいや」ってバッサリ断ち切れるほどドライでもないだけで。
政治と宗教の話は他人としてはいけない、ってよく言うけど、音楽もそうかなぁとよく思う。その危うさに気付かずに「好きなひと集まれ、語り合いましょう」て同志を募って少しするとあっけなく崩壊する。
自分が好きなものをけなされたら誰だって頭にくる。当然だと思う。自分と結び付きが強いものほど。だから守るために攻撃するし反論する。
ブログっちゅうもんにはコメント機能てのが付いてて、気に食わない文章があれば全国どっからでも簡単に物申せる。言い放って逃げても、誰も追いかけてこないし捕まる心配はない。
もし今じぶんが、音楽てものに没頭し始めた頃のじぶんだったら、何かしら反応して「ちょっとあなた待ちなさいよ聞き捨てならないわね」みたいなことをしていたかもしれない、と。
そういうふうに自分とソリが合わない文章なんてゴロゴロ転がってる。
あんまり自分と音楽の趣向が合うひとのブログは読む気にならない。興味もないし変な気分になりたくないから。どんなに面白かろうと、いつ傷付けられるかわからない。
で、別の検索をしてて目的と違うものが引っ掛かって、つい読んでしまったのだが。
その文章を書いたひとは、あるバンドのメンバーが一人増えたことに対しての自分が覚えた違和感をつらつらと記していたのだけど。
気持ちはわからなくもない、というのが一番の感想。
次に思ったのは「それはないんじゃないのあなた一言言わせてもらうけどね」なんてことではない。
そうではなく。
「変わり行くバンドの進んで行く姿勢を何の負荷もなく素晴らしいと感じ、昔も今も愛せて、そこに一切義務感はないと、少なくとも私は思えているんだな、幸せだ」ということだった。
私には受け入れられない変わり行くバンドの姿を、何のためらいもなく素晴らしいと思うひとがこの世の中のどこかにいるように。私もそう思えているんだと。
その感情は「昔から好きだから、これからだって好きに決まってる」とは全然違う。
その文章を書いたひとは、こんなにも幸せな感覚を味わえていないんだなと。変わっていったからこそバンドが得た色んな色の絵の具や技法、紙質、描く風景あってこその素晴らしい世界を。
もちろん厭味でもあります。が、ほんとに純粋な正直な気持ちでもあります。
今これ読んでるひとに伝わるだろうか。わかりにくいことを考えて伝えようとして玉砕するのは得意です。