私はどうも一癖二癖三癖ある作家が好きなようだ。
漫画一本、ではない漫画家。
自分の生活をブログでさらけ出している人とか、漫画という裏側が見えない方がゆめが膨らむものの裏側をわざわざ見せてしまう人とか。
裏話満載の柱トークが好き。これは好き嫌いがあると思うが、私は好きだ。
しかも自分の作品を時折批判的に見たり、客観視したりする文章は、もうなんていうかすごく好き。これもかなり二極的な好き嫌いがあるだろう。
音楽もそうだけど(最近は前ほどそうでもないけど)、作っている人を好きになり作品もより好きになるので、作者がぼんやりとでも見えている方が私は好きなのだ。
作品で作家を知る、というのもあると思う。しかし見方によっちゃ少し違っていて。
作品は作品である。作品を見てそれがそのまま作家だとは思わない。こんな表現をする人なんだなぁとかは思うけど、それはまんま「作品を通して作家を垣間見る」だけであり作家自体が一体どんな人間なのかということは知ることはできない。
大変わがままだが、「この作家はどんな人間なのか」ではなく「この作品を書いている作家はどんな人間なのか」が知りたいのである。
まァただのやじ馬根性ですがね…
つまりは種村有菜やさくらももこが好きだと。
社会に疲れてさくらももこのエッセイを読もうと急に思い立ったのだ。そしたら面白くて仕方ない。今まで読まなくてよかった。今だからこそ面白さが分かるような気がする。今の私に未読の状態で取っておいてよかった。ビバ昔の自分。
ちょっと内容に触れるが、さくらももこ見解によると、自信は幼い頃とてもマセた子供で、大人になるにつれ子供らしくなってきているという。じーさんばーさんになると赤ちゃんに戻るというがあながち間違いじゃないかもしれない。
なるほど!最近一人でご飯を食べても美味しくないと感じるようになったのはマセ期が終わりコドモ期になってきているからか。わかったよさくらももこ、私は単に弱くなったわけではないんだね。
思わぬところで答えが見つかり嬉しくなった。
ホームシックは相変わらずならないけど、家族っていいなと思う。と思える自分は精神的に幸せだと思う。これがオトナコドモ期か。今まではコドモマセ期。
さぁて明日からまた仕事頑張ろう。