それそれそれ~~~
今日だったらいいな、と思って寝たらほんとに今日になった。うれしいぞ、今日はなんにもない日なので最高だ。しかしそいつの相方はそれはもう酷いもんで、大変苦しいし精神的にもやられるので一人だととてもキツいものがあるのだ。過ぎ去れ今日という日よ。でもこれで素敵な年末年始を手に入れられそうだ。
こたつで横んなってゴロゴロできるか、それとも正座かというのは結構重要だと思うんだわ笑
薬効かねぇ(´;ω;)
あ
すっげつまらん(かもしれない)話していっすか?
最近ね、「あれ?どれが本当の自分だ?」と思う瞬間があります。
サークルでの自分、学科の友達の前での自分、地元の友達の前での自分、家族の前での自分、バイトでの自分、クルックの前での自分。サークルの人は付き合いが長いから、結構、いやかなり自分てもんを晒け出してると思うんです。クルックなんてもっとやばい。ここまではなかなか仲の良い友達にも見せられない自分の姿。
んじゃ他は作ってんのか?って言ったらそうじゃないんだと思うんです。いろいろいろいろいろいろいろいろあったからこそ気の抜けた自分も見せられるようになったんですよね。
最初は多分アプローチの仕方は一緒で。時を経て、よしここならもっと自分を見せられる範囲を広げてもいいだろう、となるんだろう。
結構、その日着てく服装と同じで、態度の取り方とか振る舞い方も気分によってチョイスしてるとこってあると思うんです。だからいつもがいつも同じ状態を作ってるってのは逆に難しいはずなんだよ、きっと。だからどれも自分で、違いっていうのはなくて、見せてる範囲に差があるだけなんじゃないのかな。その範囲ってのは多分、広ければ広いほど楽なんですよ。だから、ある人に対して広げすぎちゃうと、どれだけ楽かってのを知ってしまうから、範囲の狭い自分に気付いたときに、これは作っているのだろうかと思ってしまうのではなかろうか。
ゲーム2周目みたいな気持ちになるのはそのためだよ。レベル65の楽さを一度知ってしまうと、余計に序盤の弱さにいらいらしてしまうっていう。
とか
レジに立ちながらぼーっと考えたりしてました。
いつからあやかさんとのメールはああいう形になったんでしょうね笑 もー覚えてねー。それに不満を感じたこともない。
付き合いが増えるたびに猫かぶんのは仕方のないことなんすよね。